初春にふさわしいお稽古でした。
日々の無事を祈って、自分一人で生きているのではなく人の手を借り、支えられて生かされているのだということを思いながら日々過ごすことをしっかり心に刻み、幸せな年となりますように(^_^)
大幅茶のお手前を順々に続けていくのです、はじめは宗家がそしてみんな順に、
最後の者が終いのお手前を。
天暦5年(951年)、空也上人が疫病の流行に際して梅干しの入ったお茶を病に苦しむ人々に振る舞うと、疫病は下火となり、その後村上天皇も正月にこのお茶を服用したという。村上天皇が飲んだことにより、“皇服茶”の名前がつき、“皇服茶”は幸福と関連づけて「大福」の文字が当てられるようになったとされるが、名の由来は諸説あるようだ。 (引用文)
「看々蝋月尽」(みよみよ ろうげつ つく)と初めて目にする言葉です。
看々はよく見なさい、蝋月は蝋梅の咲く季節12月の事だそうです。
一年いろんなことがありました、うかうかしている間にもう12月になってしまった。
人生もあっという間に過ぎていく、しっかり考えて生きなくてはという戒めの言葉
この時期にこの言葉を思い出すために掛けるお軸だそうです。
=蝋梅=
沢山の蕾がついている。
枯れ落ちる葉の付け根には次の季節が。
この花が一番なんですね、咲くのが。
咲けばイイ匂いがする、新春の花。
ですね✿
10月のまだ暑い日でした。我が家のポストに入っていた案内はがきにはガラス工芸「渡邊徳明」さんの作品が載っていました。
その色合いと形(器)に惹かれて高台寺一念坂にあるギャラリー「こぶ春」さんに行ってきました。
一つ一つ見ている中でこれを見つけました。醤油さしや花器、ポットといった物の中に少しパターンが違っているこの茶入れ、これっ!って思いまして購入。
いい色でしょ、下方には金が入っています柔らかいなだらかなライン、最近になって「利休」さんや「少庵」さんは何って思われるかな?って考えたりします。
煎茶花です、やさしい流れる姿に癒されま~す。
イヌタデ、子供のころぽろぽろっと花を落とし取り、ままごとで遊んだような記憶が・・・
ネジリソウではなくてミズヒキ、そして藤袴、センダングサですか?
上級の方のお庭に咲いてる花たちだそうです。
先輩、間違っていたら教えてくださいね。
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黄檗山萬福寺にて「月見の煎茶会」献茶されるのは一茶庵の佃先生の御子息
昼間お席に入りお茶をいただきながらお軸のお話し、池大雅の大幅軸「墨彩 竹石圜 般若心経」柔らかい色合いとおっしゃっていました。生誕290年と売茶翁没後250年を同時に合わせられ、池大雅が売茶翁の様子、「こんな姿でこのような道具を使って」という絵をたくさん書いたので今日までその様式が伝わったのだそうです。
本席にはやはり「金襴更紗」が茶具褥に使われていました。
茶心壺は売茶翁所持のものが今は佃先生の手元にとのこと。その仕覆も立派な更紗でした。まだまだご説明はあったのですがすらすらと理解が出来ません。
もっと勉強しなくてはと感じた月見会でした。
茶道具のお店が出ていましたのでお安くていいものが入手でき満足満月です、でも今夜は新月とのこと、曇り空今は雨が・・・(*^_^*)
こちらは夜半になると月明かりと蝋燭でのお手前が始まるのでしょう。
残念ながらもう帰らないと・・・
想像して楽しませていただきます。
今日は良い一日でした、ありがとうございました。
9月に入り夏のお手前から初秋に
ふさわしい雰囲気のもとで
学びました。
路地に咲いてる花がまたやさしい!
玉露折茶を3煎淹れるお手前です。
温度、茶量、湯量が大事ということ、その時々の味を覚えること、
それが基本の基本。
しっかり頭に入れようね、
わ た し。
一穂流茶法道
お稽古を始めた時から不思議に思っていました。
それは茶入れを飾る敷物に更紗の袱紗が使われていたことです。
宗家からも綺麗な更紗で作った袱紗をいただき嬉しかったのですが、なぜ更紗?
聞けばいいのに他の事に気をとられてそのままでした。
しかし夏の研修が佃一輝宗家の「一茶庵」で行われました。そこには数々の趣向を凝らした作りの茶寮があり目をみはる思いでした。
奥に行くと「蘭風」という茶寮があり、腰張りはすべて更紗が張ってあり壁にも古い時代の貴重な更紗がかかっていました。
そこでも聞けずにいましたが一輝宗家が手に「更紗」の本をお持ちでしたので早速買い求め少しお勉強しました。
写真は「和楽」より
「更紗」より(りひでいぐりんだま)
茶銚は、三大茶銚の一つとされる梨皮泥俱輪珠。宜興窯の名品にふさわしく、仕覆は18世紀の白地唐花文金更紗(右)。
保存用の替え仕覆には絣手更紗。紺地に手描きを施した格天井、珍品である。(左)
人前には出さない煎茶の仕覆には持ち主だけが知る楽しみが底に隠される。
この場合は、鳥が底にいる。(写真はありませんがすみません)
こちらは茶の湯での更紗の包み裂や袱紗。
江戸時代末期まで、更紗は茶灼の袋や道具の包み裂、茶碗や挽き屋の仕覆にも仕立てられ、華布、印華布の名でも呼ばれた。
抹茶の表舞台からは次第に姿を消したが文人により煎茶道が成立、18世紀に流行。
ゆかたを着て出かけました、何十年と着たことがなかったゆかた。
最近は若い方が男女とも着てられますよね、とてもいいことだと思っています。
しかし洋風に着るのはいかがなものかな?
私は水をテーマにした模様のゆかたに金魚の刺繍の入った帯を締めて行きました。
竹の戸を開いて中へ。
これは宗家が書かれた墨絵です。
ほんとにこのような所がありそうですよね。
そうそう文人は金魚を好み、飼っていたそうです。
一穂流茶法道
茶禅 禅の修行を行っているようにお茶を入れる。
前座、粛座、連座と続き対座へ、そのころにはもう渓谷の奥深くに。
このお茶は左能典代先生が中国福建省
武夷山で毎年夏にもらい受けて来られるお茶の中で喘息や気管支炎にいいといわれている
「2011年の金柳条」
大きな茶葉でしょ。
金柳条は一度駄目になったとか(枯れる)しかし違う場所で大事に育て元の地に戻されたのだとか、とても貴重な茶樹ですね。
香りはほのかに甘さを感じます、今までに飲んだ岩茶と比べると香りも味も少し淡白かな。
色はよく出ています、
何煎も楽しみましょう。
そして元気になりましょう。
2013.6.15 藤の森神社「紫陽花祭り」にて
一穂流の佐々木一穂宗家が献茶をなさいました。
ここしばらく雨が降らず紫陽花も成長が悪いとのこと、蒸し暑い日でした。
式典の後、煎茶席にて冷たいお茶で喉も心も潤おしていただくように涼しげなお席が待っています。
茶合にピントが合わずごめんなさい。
お茶碗を斜めに置くことも涼しげでしょ。
ご覧のように席の前に椅子を置きお手前を上から見ていただける。
お越しいただいた方から勉強になりましたとお声がありました。
お茶碗を梅の花の様に置きくるくると注いでいきます。
これもおもしろいお手前なんですよ。
どの席にも座れるといいんですが・・・・・
茶葉は水に溶けだし、そしてまったりと甘く穏やかなお味
お菓子をいただき今度は少し苦みも感じますが
お菓子の甘さと調和して美味しい(^_^)
お茶って飲む人に話しかけているみたい。
一穂流茶法道
売茶翁のことで行われているとばっかり思っていましたが、
そのようではなくみんながお茶に親しむことでふれあいが、
またいろんなお茶があることの
紹介のようでした。
日本のお茶、中国茶、トルコ茶、韓国茶などワイワイと楽しいお店が境内に並んでいました。
ミントティ、チャイを頂きました。
どちらも甘めで美味しかった。
トルコチャイの入れ方以前教えてもらったのをすっかり忘れていたのでしっかり レクチャーを受けましたよ。
お道具がないから入れられないけど。
おなべで煮るのではないよ。
韓国茶の席がありましたが満席で見てるだけでした。
話を聞くだけの勉強はしましたが実際見るのは初めて、韓国では礼儀作法などを教える授業の中に茶道がある。
女子大で教えてられる先生が来日しての茶席でした。
少し写真でご紹介します。
この催しで「岩茶房」主宰の左能典代先生に会えました。
次回UPします。
3013.5.18 売茶翁没後250年である今年、万福寺ではたくさんの煎茶会が催されていました。
煎茶の祖と云われている売茶翁、京都のまちで茶を売り歩くその意味を知るのは難しくて私には時間がかかる。
初めて読んだ書からは一通りの姿が見えたが「何故茶を売っていたのか」これにはいろんな事が考えられるんだなあと、ある先生の講義を聞くと興味深い。
どんな姿で茶を売り歩いていたのか?
佃一輝先生の煎茶席ではこのような様子であったであろうというお道具を見せていただきました。