オーストリア

 

 

 

 

 

 

 

2010.3月 ウィーン

肌寒く風が強いウィーンの街、ファーの帽子が強い味方。

しかし、ホテル前で落としてしまう・・・

写真はオペラ座、後ほどご紹介します。

ホテルの朝食・オレンジを絞ってます
ホテルの朝食・オレンジを絞ってます

デリカテッセン・ジュースのいろいろ・パンはやはりドイツパン

朝からたくさん食べてしまいます。きっと太るなあ~

 

この日からなんと昼間からワインは当たり前の毎日が・・・

でもこれは友人たちの飲み物です、私は少しだけいただく、ほんとかな?お楽しみに!

 

 

 

ホテルを出て電車道を渡り、オペラ座の美しい入口の天井に目を奪われパチリ。

横を曲がってまずはウイーンの街中へ、赤いラインの入った白い旗が建物の壁についてますね、これはオーストリアでは歴史的に意義のある建物に掲げられています。つまり見どころなんですって、何か所も見ました、市内に約200か所もあるそうです。

 

その先ケルントナー通りを行くと、市内観光にとかわいいお馬さんがいました。

電車でまず一回りか馬車で一回りをすると街の様子がわかるとのこと。

しかし私たちは歩きます。

 

通りを行くとシュテファン寺院、工事中でしたが中ではミサが行われていました。

ウィーンのシンボルであるこの大寺院は12世紀半ばからロマネスク様式で建てられ、14~16世紀ごろにゴシック様式に改築された。

南塔、北塔とあるが北塔は財政困難から途中までしか建設されなかったそうです。

とても荘厳で美しい寺院です、奥には入れなかったけど心に響くミサの様子でした。

 

 

 

 

ザッハトルテ ・トルテ戦争

トルテ戦争・デーメルとザッハー  簡単にお伝えしますね。

 

デーメルはケーキ一筋1848年にクリストフ・デーメルが開くケーキ屋さん、皇女エリーザベトは毎日のように食したそうな。なので「宮中御用達菓子商」の金文字がある。

ザッハー・トルテでおなじみのザッハーは料理人でフランツ・ザッハーに始まる。

こちらは音楽家、オペラ歌手、俳優たちがやってくる店。

どちらの店にも「アンナ」という女性がいた。

 

1920年代の大不況の折ザッハーの店が左前になった時、店主のエドゥアルト・ザッハーがアンナ・デーメルに助力を頼んだ。アンナは助ける代わりにデーメルでもザッハー・トルテを作ることを了承させた。

エドゥアルトの死後、ザッハーの遺族はデーメルに対して「オリジナル・ザッハー・トルテ」と表示するのは権利の侵害だと差し止め裁判を起こした。

正当なザッハー・トルテは中央部に杏のママレードをつめたもの、このことで10年もの長い間裁判は続いた。判決はどちらも生産、販売をしても良い。ただし「オリジナル」の表示はどちらか一方に限ること。と

 

ザッハーはホテル・ザッハー内のカフェ、深紅と金色のザッハカラーで統一したシックなお店。写真下のホテル。

私たちはその角を曲がった横にあるカジュアルなカフェで正当なのをいただきました。 たっぷりの生クリームが添えてある。「飲み物は何が合いますか?」の問いに「メランジェ」と言われ頼みました。 ドイツ語?いえいえ英語です、私ではありません。

はじめはチョコの違いに「おいしい!」と言いましたがだんだん甘くて・・・

でもお土産はこれ!って決めました

 

 

 

Détourにおける全ての掲載内容のコピー・引用はお断りいたします。