こちらは昨年12月に
香港の皆さんに
「東山文化を知っていただく交流会」の時の
珠寳先生の立て花です。
向こう側が仏様側でこちらが人間界?
花の命のおすそわけをいただいているのです。
まだまだこのような大きな花は入れられないのですが挑戦したい!
今夜は台風が来ており夜空は雲に覆われているようです。
そんな中、月に「般若心経」を供え、
珠寳先生の花と鈴木俊哉氏のリコーダーの音と共に始まりました。
この方のリコーダーは今までに聞いたことのない音色、
リコーダーの可能性と技術の開拓に取り組まれ、全身を使ってもうそれはそれは息が楽器のようでした。
京都府教育委員会の派遣講師「夢大使」をされているとのこと。
京都だけではなく台湾でも多くの子供たちにリコーダーを教えてられるそうです。
さてお花が生けられました、
すすきとケイトウ、芙蓉、
きりん草?
蝋燭の灯りだけで生けられます、幻想的です。
芙蓉とムクゲのちがいは?
私もはっきり分からなかったので
ネット上での回答を掲載します。
どちらも、花は似ています。
芙蓉は雌しべの先端が折れ曲がっています。葉もムクゲに比べると大きい。形は掌状(五角形~多角形)で花柄が長い。
ムクゲ の、葉は卵型で葉縁に荒いギザギザ(鋸歯)があり、花柄が短い。
まだ暑い日です、一か月のお休みでしたが懐かしい思いがします。
いつもの道場への入り口を入り、
つつっと廊下を過ぎると白木の香りが鼻をくすぐります。
さあ準備をして気を整えて。
重陽の節句とでもいいましょうか菊の5本生けです。
真綿は掛けてません・・・
いえ、ここではそのつもりがなくて仏様にお供えするための基本となる姿のお稽古です。
高さも他の花の時と違ってあまり高くしないのですよと先生の教え。
込藁に挿しこむ場所の確認をすると自然に決まりますとも。
昨年にもして2度目となりますが忘れていますねえ、ノートを見たにも関わらずお直しが入りました(-_-;)
昨年の方が上手く入っているなあ
(慈照寺の花Ⅰをご覧ください)
=ケイトウ・りんどう・小菊・
すすき=
こちらも昨年と同じ花材
今年はススキがあえて小ぶりでしたが
これも好きな雰囲気です。
葉は少し気になるけど水に触れるのは取りますがその他は自然のままに。
10月11月とお休みなんです。
例年のフランスでの講習会や献花、献茶をプチパレやロワール地方でのお城でなさいます。
日本の文化、特に「禅」が好まれているフランス。
おみやげ話待ってま~す。
7月には2回目の美術・工芸の講座
「同朋衆について」
もうほんとにほんとに嬉しいお話しでした。
詳しいことはさておき
この講座の先生はと言いますと
武者小路千家の次期家元千宗屋氏です。
このサインは最近出版された本「茶味空間」にしていただいたもの。
いい香りの蓮の花を周りに配し写しました。
親子孫三代にわたり芸術芸能に優れていた能阿弥、芸阿弥、相阿弥。
武家に仕える人で頭は僧侶の様に、衣服は武士の様に刀を持っているそんな絵が在ります。
この三人の芸術性についていろんなことを学び楽しい一日となったのです。
講座とは別に本の一部をお見せしますね。
お軸を外して畳に置き鑑賞することも初めて知りました。
水墨画を鑑賞する時は、そこに描かれている人物は自分だとして絵の中に入っていく。
国宝の水墨画が京都には多く残されています。
大徳寺・建仁寺等、非公開の物が多いけど特別に見られる時期を待ちましょう。
上は立て花、珠寳先生の花
利休の孫・元伯宗旦作 一重切竹花入れ
このほかいろんなことが書かれています。
宗屋氏のお話はいつもながら面白く親しみのある言葉で流れるようで
時間があっという間に過ぎます。
次回は茶会形式でとのこと楽しみです。
=蓮 花・葉・巻葉 =
7月1日のお稽古 私にとって待望の蓮でした。
昨年はぎっくり腰で動けずお休みし、蓮を触れませんでした。
今年はロンに噛まれて手が使えず、珠寳先生の手元と説明を聞きながら皆さんのを写し書きをしました。
何よりも何よりも水際の大切な蓮。
家に帰って入れました、先生のご指導は受けられないけどがんばりました。
蓮に関して少し「煎茶のお稽古」のページにて書きました、ご覧ください。
=花菖蒲・姫百合・桔梗・薄=
前回の杜若と花菖蒲の持つ雰囲気の違いを感じて生けてくださいとのこと。
葉の太さ柔らかさ、なるほど違います。
生ける時は上ばかり見ていると惑わされるので、水際とその下をしっかり見るようにとのこと。
お借りした花器が新しくて私の込藁、やっと結んで挿しこむとストンだって!
やり直し,小束を二つ頂いて足しましてもう一度結ぶ。大丈夫でした、焦りました 。
こんなこともあるのだと勉強になりました。(-_-;)
今年は花講座の他に水墨・墨蹟を学ぼうと慈照寺の講座に行ってまいりました。
なぜかと言いますとこの東山文化には禅・お茶・花・香等とは欠かせないものの一つに 水墨画や禅僧の書があります。
茶の湯・煎茶道においてもその部屋には書が掛っております。
その意を少しでも分かるようにと心がけたのです (*^_^*)
正木美術館の館長でいらっしゃる高橋範子先生の講座
「春を満喫しましょう」が本日のテーマ
梅の水墨画=墨梅図から、中国と日本の描き方の違い、とても楽しく分かりやすくお話をしてくださる方で、次に先生がこの道に入るきっかけとなった「湖山図」の説明をしていくうちに、「雪舟」の画に流れていく様はとても面白く、皆さん身を乗り出して聞いてられました。
左が「湖山図」文清筆
右が「山水図」雪舟筆
詩から分かるのがどちらも中国の「西湖」を書いている。
しかし筆が全く違うことの説明、これには先に言いました先生の話の流れが
「ええっ、そうなんだ」というような驚きにも似た納得感を味わいました。
それぞれの下に描かれている部分をアップでご覧ください。
これ二つ咲いてるの、一つの花穂の中に二つ咲きますよと言われていたのが、
一番初めに咲いたのは枯れましたが三つ目も同時に咲きました。
大きさはだんだん小さくなりましたがこんなのは初めてです!
分かります?右下の白い部分が一番目の後です。
頂いてきてから一週間がたち、
二つ同時にというのもいいですね、
咲いてやるぞーという感じがあって
力強い!!
2012.5.14
=杜若・なでしこ・縞ふとい・
もみじ=
この季節で最も凛として美しいのはこの花かな?
立て花では形にとらわれず植物の出生を思い描き(普段から気をつけていなければ分からない)そのままを生ける。
また水際の下はどうなっているのかなど、自然界でのあり方などを感じながら生ける。
今回もまたまた打ちひしがれました・・・というのは私が生け出して最終行き着いたのは自然ではなく生け花という形に囚われていた自分の姿でした。
清々しさの欠片もなく江戸時代に広まり今日に至る生け花の形でした。
この写真は意味をおしえていただいた後、家に持ち帰り、花がどんどん変化していくさまに従い、心を合わせて生けました。
まだまだですが思わず手を合わせました。
「映すものと映るもの」同仁という会報誌の中の大橋良介氏の随想から
映すものは花、映るものも花。それは、花自身が花を映す鏡でもあるということだ。他者を自己のうちに映す鏡は、自分の内に自分自身を映す鏡でもある。
前段があるので意味がわからないかもしれませんが、水面には誰にも気付かれずに花の姿が映し出されています。
このことを例えて心の在り方を教えてられるのだと思います。
生けられた花を見る時、見た目の花姿だけではなく、気付かないでいる水面にも目を向けて拝見したいと思います。
=桜・都忘れ・しゃがの葉 =
桜の銀閣寺
桜二種と他には中央低めに紅い芍薬を入れていました。
ここに芍薬を入れると強くてどうかな?
やはり先生は抜かれました。そしてしゃがを手前に移動、その前にボタン桜で止めるように。
この二種で真の後ろへの流れを受けている。
しゃがの葉はほほとんどが根締めといって足元を隠すように外側に生けます。
たくさん入れる時は中にも入れますが。
この可愛いこと、室町時代にもこんなふうに生けたかしら?
いえきっと珠寳先生だからこそでしょう!